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美しい坂と歴史と伝統文化 |
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異国との接点、歴史とロマンの通奏低音 | |
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臼杵という地名は、臼杵市稲田にある臼塚古墳に由来する。古墳の入口に立つ石甲(武人像)が、臼と杵に似ており、「うすきね様」と呼ばれ親しまれてきたことから「臼杵」の地名が起こったと言われている。
時代が下って戦国時代の永禄5年(1562年)、九州六か国を治めた切支丹大名大友宗麟が天然の要塞であった丹生島に丹生島城(現臼杵公園の臼杵城跡)を築いた。宗麟時代の臼杵は、諸外国との貿易をおこなう国際商業都市として栄えていた。
慶長5年(1600年)、オランダ船リーフデ号が臼杵市佐志生に漂着する。船長ウイリアム・アダムス(三浦按針)、航海士ヤン・ヨーステンの二名はその後、砲兵術航海術などを活かして家康の外交顧問となる。臼杵が国際的な記憶として残る事件であった。
慶長5年(1600年)大友氏に代わり稲葉貞通が美濃から入封し、維新まで稲葉氏の城下町として繁栄する。春日局は、初代稲葉貞通の妻で、斉藤利三の娘である。将軍家康の目にとまり、貞通との離縁後、家光の乳母となるのだが、家光は家康が春日局に産ませた子との説もあり、これが史実か物語か誰にもわからないだけにドラマとなるのであろう。
二王座 春日局屋敷跡付近

龍源寺 三重塔が美しい

浜町の小手川酒造は野上弥生子の実家である。漆喰なまこ壁の街並が美しい。八重子は明治18年、長女として生まれ、15歳で上京。明治女学校に進み、野上豊一郎(法政大学長)と結婚後、漱石に師事し多くの作品を生んだ。
野上弥生子文学記念館

昔ながらの技法で造られる焼酎は甕で長期熟成される。野上の作品と似合い上品な味わいだ。
かつて堺と並ぶほどの国際都市だった臼杵だが、今はその面影もない。城下町、港町としての顔は今でも続いているが、この街の特色はやはり坂であろう。坂を持つ町には多くの物語が生まれている。この街の坂は数こそ多くはないが、印象が濃く劇画的である。坂を登ると人恋しくなり、坂から見下ろすと失われた時間が恋しくなる。美しい坂を持つがゆえに、尾道、竹原などと同様、大林監督の創作意欲をかきたてることができたのではなかろうか。この貴重な資源を大切に磨いてもらいたい。